「自粛」の考え方がここ1年で変わっている
どもども。
ついに3回目の緊急事態宣言ということで、明日から1度目の緊急事態宣言と同じような対策が行われます。果たしてしっかりとした補償は行われるのか…不信感が残る緊急事態宣言です。まあそこは置いておいて、今日お話するのは一般の人の「自粛」という言葉の考え方がここ1年で変わっている、そして私の変化についてお話します。
1度目の緊急事態宣言からずーっと…つまり1年以上「自粛」と言われているわけですが、1年前を思い出してみてください。本当に「自粛」だったでしょうか?去年の4月の「自粛」はほぼ「強制」の雰囲気が出ていたように思います。開けている店は「悪」であり、閉めることが普通、家にずーっといることが普通とされていました。やはり周りの目も厳しかったですし、未知のウイルスというのが大きな要因でしたね。私自身も「自粛という言葉だけどこれは強制だ」と自分の中で思っていました。
現在はどうでしょうか?「自粛」という言葉はそのまま「自粛」という意味で使われているように思います。つまり、自分の考えで「行かない方がいい」と思う場所・時には行かないけど、無理矢理予定を変えるとか、そういうことは一切しなくなったように思います。それは私自身も同じで、前回の緊急事態宣言中も外に出ましたし、大学にも感染対策をした上で普通に行っています。
このような状態を「緩み」と政治家は言いますが、言葉通りの行動を国民は行うようになっただけで別に「緩み」ではないと思います。いや、妥当だと思えるくらいコロナについて分かってきたのと、精神的経済的限界が近いんだなと思いました。まあマスクしないとか、大人数会食をするというのは緩みなのでしょうが…
3回目の緊急事態宣言では、まるで戦争前夜のように街頭以外全て消すというよく分からない政策もやるわけです(省エネですかね)が、果たしてどうなる事か…