芸術は評価と共存出来るのか?
どもども。
芸術って様々な分野がありますよね。例えば音楽や絵、写真、デザイン、書道も芸術という域に入るのでしょうか。また、スケートや体操にも芸術的な要素があります。
私は絵や書道、運動はからきしダメなのですが、音楽と写真は少しだけかじったことがあります。一応小中高と楽器や合唱を少しずつやり、高校時代は写真部に所属していました。
そんな素人だけどちょっとその手のものに片足突っ込んだ私が感じたこと…それが、芸術と評価の共存です。今日はそんなお話。
評価って色んなところでされますよね。学校の成績はもちろんのこと、バイトの出来、就職してからの昇格など、様々なところで使われています。これらは割と「数字」で簡単に評価できるものです。
しかし、芸術は「数字」ではなかなか評価出来ません
もちろん、私のような下手くそに対してなら、数字で評価することが出来るでしょう。具体的に「ここの音外れてるからダメだ」とか「なんかこの写真凄く傾いてるじゃん」といったように、誰もがおかしいと思うことに対しては数字での評価が可能でしょう。しかし、本物の芸術はそんな甘いレベルの話ではありません。
高校の県内大会レベルであれば、誰もが「これは上手い!」「これはちょっと…」って評価出来ると思います。しかし、それが関東などの地区レベルになってしまうと次元が違ってきます。合唱であれば、音を外すなどということはまずありませんし、写真もどれを見てもすごく上手いなと思うものばかりです。
それでも、大会やコンクールでは成績がつきます。この成績は、点数評価出来ないから意味が無いのでしょうか?
個人的には半々だと思っています。
確かに、金賞を取ることは凄いことです。私も合唱をやっていた時、金賞が取れたら心の底から嬉しかったです。ですが、レベルが高くなるほど、その評価は絶対的にも相対的にも高くないのではないかと思うのです。
でも私は、評価が意味のあるものだとも思っています。評価して下さる先生方の多くは、その界隈でも、大衆的にも「素晴らしい」と一目置かれている方々です。そのような方々に「あなたの写真はこの中で一番です!」「あなた方の合唱は関東一位です!」とお墨付きを貰うことが出来る。
私はこの「お墨付き」こそが評価の意味ではないかと思います。もちろん、この評価に対して否定的な先生もいらっしゃるわけですから、その作品が他の人と比べて間違いなく素晴らしいのか否かは分かりません。しかし、評価してくださった先生のお墨付きである、ということには間違いないはずです。
私は、芸術と評価は十分共存していけるのではないかと思っています。その評価はあくまでその人の主観かもしれない、でもその評価は多くの人から認められた人のお墨付きである。それが評価になる。傍から見たら変な感じかもしれませんが、これでいいのだと私は思います。
芸術って、私が語ってはいけないんじゃないか?と思うくらい奥が深いものです。私の通っている大学にも、芸術系の学科があります。そんな人達の話を聞いているだけのうすーい知識でも、「奥が深いなあ…」と思ってしまいます。芸術は、理論でも、私が学んでいる経済でも解き明かせない、人を動かす力があると私は思います。そんな芸術を学ぶ人を私は「凄いなあ…」と思いながら隣で経済をやることにします(笑)
それではー「再见!」