【震災から11年】考えなければならない日…だけれども
2011年3月11日 私はその時小学四年生でした。帰りの会が始まる前、揺れを感じました。そして少し大きくなってきた時に机の下に隠れると、轟音を立てて建物が揺れました。この時のことはハッキリと覚えています。その後、大きな被害が出たということを本当に理解したのは中学生になってからです。その頃はあまり他のことを知らなかったから…そして今、本当に恐ろしい事だったのだと知っています。
現在も多くの方が避難を余儀なくされており、多くの方が亡くなりました。心よりお見舞い申し上げます。また、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。
さて、今日というのはやはりテレビでも「東日本大震災特集」ということをします。もちろんこれをきっかけに家の災害対策を考え、外にいる時はどうするのか、家族との連絡はどうするのか?そのようなことを考えるのは素晴らしいことです。いつでも考えてなければ意味が無い!という人もいますけど、このような日がきっかけになることは良いと思います。これをきっかけに寄付するとか、偽善だと思われる人もいるでしょうが「しない善よりする偽善」という言葉があるように、素晴らしいことだと思っています。
ただ、やはり過剰に考える必要も無いのです。今日は震災によって多くの方の命が奪われた日でもあり、誰かの誕生日でも記念日でもあります。そうでなくてもたまたま旅行する日でもあります。それを否定することはして欲しくないわけです。「悪いのは自然であり、その日祝うことに罪はない」ということです。
最近は「震災の日なのに…」という人は少なくなりましたが、それ以外のことで批判する人は未だに多いですね。それこそ、ロシアがウクライナに侵攻したことをきっかけに「ロシア料理を紹介するとは何事だ!」とか、コロナをきっかけに「今旅行系のことを紹介するのは何事だ!」みたいな人もいます。でもどれもこれも本題とは大きくかけはなれたものです。批判的思考は必ず必要なことですが、やはりやりすぎと言うのはおかしなことだと思っています。
私もそういったことをしないように気をつけよう…最近はそうやって考える日にしています。