しがない大学生の万人のためにならない日記

《基本毎日更新》バイト先の先輩に真似て始めたしがない大学生によるしがない日記。気になったこととか今までの経験とか気になることとかの雑多ブログ。チャラくない大学生活がどんなものかとか気になる人にオススメ。 お問い合わせはパソコンの方は横、スマートフォンの方は記事下のプロフィールよりフォームにお願いします。

【教育の謎…?】講義や授業の感想を点数化するのはどうなのか?

どもども

久しぶりに教育系のお話です。基本的に私はバイト先の塾では社会を教えているので答えは1つしかありません。入試とかはそんな答えが決まった問題が出るわけです。しかし高校・大学の講義になると「あなたの感想を書け・コメントを書け」という課題に点数を付けることが増えます。

 

まあこの課題、別に否定するつもりはありません。例えば「あなたの感想を書いた上でそれを根拠とする参考文献を引用して分析しなさい」のようなものなら評価されるのは納得です。感想(例えば良いor悪い)自体だけを評価される訳ではなく、正しい文献を引用してるかとか、文章の体裁がどうとかそういうところを評価されるのですから。

しかし大学の講義の中には「自分の感想だけを評価対象にする」という科目があるのも事実です。そうすると、どうしても自分の考えと違う考えを持つ人は評価を低くしてしまいがちです。実際それを感じたことが私も何度かあります。例えば政治学の授業で、教授は野党的な考えを持っていて私は与党的な考えを持っていました。そんな考えが違う状況で私は与党的なコメントペーパーを毎回提出していました。すると明らかに教授に嫌われていたんですね。案の定評価も良くありませんでした。あとここ最近だとジェンダーの授業。これもコメントがモロに評価に入るもので、どうも教授と合わない意見を書くと点数が低い。ちょっとどうなのかなぁという経験があります。

「お前が忖度して書けば良いだろ」と言われればその通りなのですが、それが本当に「評価」として使われて良いのかと。結局ここでも「正直に書いた奴はバカ」という認識が生まれてしまうわけです。社会人生活なら分かりますが、学生にそれを強いる教授というのはどうもおかしいなと思うわけです。反対意見が嫌なら最初からコメントを求めず穴埋めのテストにすれば良いわけです。

 

まあはっきり言って愚痴ではあります。でも人に教えている立場である以上、道徳的・感情的な部分を評価に入れてしまうのは如何なものなのかなぁと思うのです。もちろん人には好き嫌いがあります。私も塾にいれば得意な先生・生徒がいて苦手な先生・生徒がいます。でもだからと言って宿題でキツく当たるとか、そういうことはしません。点数には反映しないということです。皆さんはどう思いますか?