【震災の記憶①】あの時私は「被災者」だったのか?
【はじめに】東日本大震災で被災された全ての方にお見舞い申し上げます。10年経った今も苦しんでいる方々、戦っている方々がいることを胸に留め、お話致します。
「2011年3月11日14:46」あの日世の中が変わった事が、当時小学四年生の私でも分かりました。私は学校におり、いわゆる帰りの会を行っている時大きな地震にあいました。詳しい震度は未だによく分かりませんが、恐らく5弱~6弱のどれかであったということです。
今日お話するのは、果たして私は「被災者」だったのかということです。世の中で被災者と言われるのは、自宅を失ったり、大切な人を亡くしたりした人です。だからこそ当時も今も、私は被災者でなかったと考えていました。しかし、その大きな揺れのせいで、校庭に避難し、自宅の物は床に落ち、電気は止まり、水も限られ、車で一夜を過ごしました。当時こそ、自分より厳しい生活を送った人しか見ていなかったので「自分は被災者じゃない」と思い続けていましたが、今改めて考えると、程度が違うとはいえ「被災者だった」と思います。
ここから何が言いたいかということですが…震災や災害の時、どうしても自分より厳しい状況にある人を見て、自分はマシだと考えてしまいがちだなと思いました。その考えから人に助けを求めることが出来ず苦しんだりする人も少なからずいる。しかしそれは良くないことだと思います。他人と比べることなく、自分が苦しいと思った時は「自分は苦しいから誰かに助けを求めてもいいんだ」と思うことが大切だと思うのです。それがいわゆる「自助」であると考えます。その上で「共助」を行うことにより、心の被災を少なくすることができると思います。
今日は「考え方」についてお話しました。明日は千葉県に住む私が、当時どのようなことをしていたのか。自分の記憶を留めるためにもお話したいと思います。