しがない大学生の万人のためにならない日記

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学習出来ることは当たり前? その姿勢はどうあればいいか

どもども。

昨日の続きです。

学習することは「当たり前」と思って良いのか、そして学習する側はどんな姿勢でいるべきなのか…今回は特に大学生、大学院生を中心とする「高等教育」にフォーカスしてお話したいと思います。

 

そもそもこの話をしようとしたきっかけは、政府による大学生への現金給付です。これに対し、とある学生団体は「たった10万円、20万円で何が出来るのか」と、感謝の気持ちが取れない表現をしました。私はこの発言に対して否定的な意見を持っています。最初は少なくても、まずは大学生の思いを受けて給付が決まったことに感謝すべきだと考えています。

 

さて、本題です。高等教育を受けることは「当たり前」なのでしょうか?

私は、「高等教育を受けたい!」と思う人が高等教育を受けるのは当たり前だと感じています。もちろん、その人が本気で受けたいと思えばです。ただ遊びたいだけのいわゆる「クズ大学生」は例外ですが。

そのように、高等教育を受けたいと思う人が受けられるようにする高等教育無償化は早急に進めて欲しいと思います。

 

では、私たち(教育を受ける側)は「当たり前だから感謝はいらない」と思って良いのでしょうか?

全くそれは間違いだと私は感じます。

高等教育無償化に関しては、当然のことですがお金が必要です。そのお金は誰が出すのか、どこから出すのか?

恐らく大半は、社会人として社会で働いている人が払う税金でしょう。今回の現金給付だってそこから出されていると言っても過言ではありません。そのような人達への感謝無しに高等教育を受けるのは失礼だと感じます。

ですが、一人一人にお礼を言うなんて無理ですし、ただ大学で遊ぶだけの人のために高等教育無償化をしてもお金の無駄です。だったら「成績」という結果で無償化する範囲を決めてはどうか?と思うのです。感謝の印として結果を出す。これが1番線引きがしやすいのではないかと思いますし、わかりやすいでしょう。それに、大学に無償or給付ありで通うならこれだけ頑張っている姿勢が必要だと思います。

今回、現金給付には、留学生に成績上位3割、という条件を設けています。是非これは留学生以外にも設定していただきたいです。奨学金を給付、貸与されている学生の中にもただ遊んでいる人がいるのは確かです。そんな人達に渡すくらいなら、成績上位3割に入るくらい勉強に力を入れている人にまずは給付して欲しいと思います。(もちろん、今は全員に等しく給付してもらうのが1番ですし、学習に身が入らない様々な事情があるのは知っていますが)

 

まあ結構急進的というか、雑な話になってしまいましたが…(笑)

私たち大学生は、学習出来ることは当たり前だと思いつつも、やはり支援してもらえる人たちに感謝するべきだと強く思うのです。

 

それではー「再见!」