【大学生】オンライン〇〇をしての気持ち
どもども。
オンライン〇〇の利点を話す前にこちらを先に…
オンライン〇〇として、オンライン帰省、飲み会、授業の3つを今までに行いました。新しい生活様式でも言われていましたし、緊急事態宣言下でもオンライン〇〇に関して推奨されていました。
確かにオンライン〇〇は、居酒屋も予約しなくてもいい、時間も気にならない、満員電車に乗る必要もなければ歩く必要も無い。スマートライフにはこの上なく素晴らしいことで、必要なことです。政府や学者の方、あの山中伸弥先生も「人と会わなくてもオンライン〇〇で人の温かさに触れることが出来る」とおっしゃっていました。本当にその通りだと思います。人と直接会えない中、オンラインで会えるようになったことは素晴らしいことです。
ですが、正直かなり虚しいです。
オンラインというのは、「ミーティングを退出」というのを押してしまえば一瞬で終わってしまいます。つまり余韻が無いのです。Twitterで見ましたが
恋は飲み会で生まれるんじゃなくて、帰り道で生まれるんだな
というものがありました。飲み会の帰り道=飲み会の余韻です。恋に限りません、友達同士の飲み会でもそうです。
「あの人〇〇だったよねー」「この料理美味しかったね」「楽しかったねー、また会おうねー」
こんな他愛もない会話、これが直接会う利点だったんだなと思います。
オンライン授業も何度かやりました。Zoomを使ったものもありますし、録画を見るものもありました。ですが総じて思ったのが、やはり余韻が無いことです。
「あの教授やばくね?w」「次の授業何?」「今日マジで眠いわー」「最近バイトどう?」
本っ当にしょうもないことです、勉強にそんなの要らねえだろと言われても肯定せざるを得ないような会話です。でも、それが大切で、それが楽しかったんだと心底思いました。
更に、人を直接見られない…見られたとしても顔だけです。それの何が悪いかというと、面と向かって話す時は相手の顔だけじゃなくて、細かい表情や体の動きなどでその人の反応や機嫌を考えていました。それが今は出来ません。相手の気持ちを勘違いして言ってしまう、これは望まない溝を生じさせてしまうかもしれないなと思いました。
今中国と米国、Twitter民と政府、Twitter民同士など様々な対立があります。ですが、この対立は、オンラインだからこそ激化しているように感じます。相手の顔、反応が見えればここまで溝が深まることは無いのではと思います。ネットは「顔が見えないことで無意識に相手を傷つけたりすることが多い」と言いますが、その問題が顕著に現れていると思います。
人の心の温かさが、会わずに分かるのがオンライン〇〇です。それは否定しません。オンラインを勧める政府も、この世界観も否定する気はありません。でも、現実としてこう思うのが実情です。
それではー「再见!」