しがない大学生の万人のためにならない日記

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障がい者への「差別」と「区別」

どもども。

最近障がい者についての大きな話題が出たのは、障がい者施設で障がい者を殺傷した事件が印象に残っているのではないでしょうか。その犯人の発言は全て障がい者への差別ではないのかと思います。

 

じゃあ、障がい者を色々な形で健常者とちがう対応をするのは全て差別なのでしょうか?と聞くと、皆さんは「それは違うだろ」と思うのではないでしょうか?

まあ、実際私もそう思います。障がい者の方のためにバリアフリーの施設を増やすこと。それは差別では無く思いやりです。お店で障がい者の方のための席を作ること。これも思いやりや区別と呼ばれることだと思います。

 

ですが、皆さんはこれから話すようなことを気付かぬうちにしてはいませんか?

これから話すことは私からしたら「差別」だと思います。ちなみにこれは、実際に障害を持つ人から聞いた話です。

例えば、店に入る時に奇異な目で見られたり、面倒くさそうにされる。これは皆さんも理解出来ることかと思います。しかし「車椅子なのにここまで1人で来られたんですか?凄いですねー」このような言葉を、良かれと思ってかけている。これは障がい者の方にとっては非常に不快だそうです。だって、その障がい者の方だって1人の成人なのです。皆さんにとって1人で外出することは当たり前のこと…そして、障がいを乗り越えて1人で外出する。これを当たり前のことにしようと努力しているのに、まるで子供扱いされる。これは意図せずとも差別なのではないかと思います。

 

いつもであればここで話を終わりにするのですが…

逆に「差別」という言葉を使って、障がい者によって我々が不利益を被ることもあるのではないか、と考えました。

必要最低限の区別であるのにも関わらず、それを「差別だ差別だ!」と言われてしまっては我々の生活が逆に失われてしまいます。団体によっては、健常者に制限を与え、障がい者の制限が無いような世の中を作るんだ!と取れるような発言をする団体もあります。これでは平等な社会とは言えません。

 

私のような健常者と、生活に制約が入る障がい者…どちらが偉い、偉くないというのは言えません。お互いが少しずつ我慢して、お互いができるだけ多くの便利を生み出せたら、それが正解なのではないか。私はそう思います。

 

それでは「再见!」