百箇日と納骨式
どもども。
先日ブログにしたサウスウェーブ号で、11月に亡くなった祖父の百箇日と納骨式に来ました。
あの時は悲しみにくれ、涙していた日でしたが、今は前に向けて進んでいます。
そして百箇日というのは、故人とのお別れへの悲しみに区切りをつけるという意味もあるらしいです。それは、この百箇日を過ぎると、次に盛大に何かをするのは初盆や一周忌になるからなのかなとも思います。
さて、そんな百箇日だった訳ですが…お坊さんがあげたお経の中で、このような意味の言葉がありました。
「赤子が産まれる時、周りの人間は盛大に喜び祝い、本人は大泣きする。人が仏様となる時、周りの人間は盛大に悲しみ泣き、本人はやっとこの世から解放されたと喜ぶ」
この世の中に産まれるということは、仏教の中では非常に辛いことだそうです。そして、この世の中の苦行に耐え、それが終了したとみなされるとあの世へ行くわけです。
私の祖父はきっとこの世の中での苦行を全て終わらせて、喜んであの世へ行ったのだと思えました。我々はある意味生かされている…そしてまだ死なないということは、この世の中では十分に生きれていないということなのでしょう。そして、そんなことを言える和尚さんはまた改めて凄いのだなと実感しました。
数々の儀式があり、それが全て終わりました。そして我々残された者は、また改めて力を入れ直さないといけないなと感じました。
車の免許を取って、祖父が遺した車を運転し、またここに戻ってきて祖父が好きだったお酒を飲もうかなと思います。
とりあえず今日はそんな日でした。それでは「再见!」