なんで戦争などという醜いことが起こるのか?
どもども。
最近ニュースを見ていると、事ある毎にイランとアメリカの対立状況ばかりが報道されます。様々なことがお偉いさんや専門家の方々によって考察されていますが、そもそもなぜこのような醜いことが起きるのでしょうか?
私なりに考えてみました。
※何回も書いてるので聞き飽きたかもしれませんが、あくまで個人の見解です。
まず初めに。この地球上で、戦争が無かった時というのはほとんどありません。
戦争、戦争の歴史です。
しかし戦争は、罪の無い人を巻き込み、多くの人が被害を受ける非常に醜いものです。
さて、ガラッと雰囲気を変えて、皆さんはゲームをしますか?
別にふざけている訳ではありません。至って真剣です。
例えばチェスをしているとしましょう。コマを動かして、相手の王を取るというのが目的ですよね。当然のことです。
そして、そのコマを動かしているのは、自分の陣地を上から見ている私達です。コマに意志はありませんから、自分ではどうすることもできません。そして、皆さんはコマを取られても特に何も感じませんよね?
最終的な「勝利」が目的なのですから。
これを「国」に置き換えてみましょう。
そしてコマは「国民」です。動かす人はその国の「リーダー」です。
たくさんの「国民」を「地球」という盤の中で「リーダー」が「勝利」を目的に戦います。
これ、まさに戦争だとは思いませんか?
おかしい、不謹慎だと思われた皆さん。ちょっと待ってください。別に全く同じだとはお話していません。
もちろん、国民には意思があり、戦う意図もチェスをするのとは全く違います。
私が言いたいのは、
「たった1人のリーダーが、もう片方のリーダーと戦っている。そしてその時に、自分の勝利のために国民を使っている。」
ということです。
私は、こうなってしまう戦争においては、その国の長の考え方が「一人一人の尊い命」から「自分の勝利を目指すひとつのコマ」へ変化しているのではないかと思うのです。
要するに、人の命を失うという危機感が無くなってしまう。
そのように感じます。
だから、あれだけの戦争反対意見がイランとアメリカ両国にありながら、両国共に攻撃を仕掛けるのだと思います。
1番国民を注視しなければならない長が、その注視を忘れ、目の前のたった1人にしか向いていないのです。
そのような事が、戦争を引き起こす要因になっているのではないかと私は思います。
じゃあ、長が変わらなければ何も変わらないのか。そんなことは無いと思います。
先程お話しましたが、チェスとの大きな違い。それは、コマには意思がないが、国民には意思があるということです。
国民の政治への関心や、本当に戦争を止めたいという行動が、その国の長を変えることが出来るのだと思います。
それを考えると、今の日本は少し怪しいのでは…と思います。「戦争は嫌だ」と言う人は沢山いますが、「政治に興味が無い」という人が多いのも事実です。
今のままだと、もし戦争になりかけたとき、長を変えることは出来ないのでは。
私はそう感じます。
いつかこの世界から戦争が無くなることを願っています。
いつもここでブログを書いているからか、大学のレポートが2時間で書き終わりました。これもブログの利点ですかね。
それでは「再见!」