「道徳」ってなんのためにやっているの?
どもども。
一年前くらいに文科省が「いずれ道徳は教科化すべき」って言ったことがあります。これはつまりどういうことかというと、学校において道徳が数値によって評価されるってことです。
これを読んでいる皆さんは、道徳の授業を経験してる方が大半だと思います。ですが、その道徳という科目が、軽視されてると思わざるを得ないことになっています。
実際私が通ってきた学校では、歳を重ねるにつれどんどん道徳が曖昧になってきました。
小学生の時は毎週必ず道徳の授業があり、いろんな意見を交わす場でした。それが中学生になり、道徳の時間に委員会を決めたりだとか、合唱コンクールの練習をしたりだとかし始めたわけです。さらに高校生になってからは、道徳は形だけの教科になっていました。道徳の時間を使って勉学に関する集会をしていたわけです。
高校の先生からしたら、「道徳なんて小中学校で学んでるでしょ。人の気持ちくらいわかるじゃん」ということなんでしょうけど…
いや、そしたらこんなに色んな問題は起きてませんよね!?
道徳心がまだよく分からないであろう小学生よりも、道徳心が付いていると思い込んでいる高校生の方が問題を起こしている。しかも社会規範に反することまで…これで、道徳心があると言えるのでしょうか?
社会に出た時。いくら勉強が出来たって、人の気持ちがわからない人は「使えない」というレッテルを貼られることになるわけです。それを「時間が無いから」などの理由だけで道徳を軽視して良いのか。私は甚だ疑問に思うわけです。
あと、最初にお話しましたが、道徳の点数化。これはつまり、普通の勉学と同じように評価するということ。これが何を意味しているか。
社会に出てから大切になってくる道徳感や人の心を考える能力が、勉学と同じレベルに引き下げられてると私は考えたわけです。
しかし、こんな風に話していますが、道徳の軽視は続いていくのだろうなと思います。政策を作っている側はは「勉強が出来る=偉い」ともう思い込んでしまっているように感じます。何回か話をしていますが、日本人は人と違う、大きく変わることを嫌います。
だから、結局この勉強社会を転換させることもあまり好きではないのだと思います。
道徳が軽視されることによって、人種差別、いじめ、障碍を持つ方への態度…そして、最終的に社会で自分の首を絞める。
それが分かる日が私が生きている間に来ればいいなと思います。
そして、最後に。私の思う道徳とは
「社会に出るために一番大切にしないといけないことを学ぶため」
だと思っています。
それでは「再见!」